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パンドラの箱が開いた日〜続きの話し〜

もう私は自分の過去は振り返りきったと思ってた。でもね、心の奥底に見つけてあげなきゃいけないパンドラの箱があった。それに気づいた日の話し。

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おはようございます。
三浦綾子です。

自分の価値観・人生のミッションは、
自分の過去の出来事で創られている。

だから、
過去の劣等感とは
とことん向き合ったほうが良い。

そう発信していた私だけど、
振り返りきったと思っていた自分の過去に、
実はもっと深い価値観が隠されていたことに気づいた。

私はずっと、勝ち負けの価値観で生きてきた。だから自分自身の評価すら、勝ち負けで判断してきた。

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その価値観、
35年間気づかなかった・・・。

いや、
薄々気づいていたけど、
直視するのを避けていた気がする・・・。

でも気づいちゃったんですよね、
私、勝ち負けでずっと生きてきたって。

なんでその価値観が生まれたのか?

それは中学時代。
もっと詳しく言えば中学2年の時。

岩手県の片田舎で生まれた私は、
実は小学校から中学校卒業までの9年間、
ずっと成績1番を取り続けてきました。

1学年1クラスしかないような、
そんな小さな町で育った私。

1番を取ってきたことは、
別に1番を取りたかったわけではなく、

ただ努力して結果が出ることが楽しかった。
勉強すること自体が楽しかった。

ただ楽しいと思ったことを継続してきた結果。
それが1番という結果だっただけ。

その価値観が変わったのが、
中学2年の頃。

私が通っていた中学校は、
通っていた小学校全員が持ち上がりではなく、
学区の関係で小学校の同級生たった4人だけが、
別の小学校を卒業したクラスと合流する。

そんな形で中学生活をスタートさせました。

そしてその中学時代も
3年間ずっと成績は1番。

中学2年のある日、
言われた一言が私の価値観を変えた。

それは同級生からの

「また1番ですごいね」

という言葉・・・。

今思うと、
当時の彼女は全く悪気は
なかったんだと思う。

でも当時の私にとっては、
心が深く傷ついた。

「何で誰も私の努力を見ないんだろう?」

「努力しているから
結果が伴うのは当たり前なのに、
なんでそんな言葉を投げかけられなきゃ
いけないんだろう?」

皆んな私が一番を取って当たり前だと思っている。
でも誰も私の見えない努力を見ていない。

私はロボットじゃない。

担任の先生ですら、
私がいつも一番で当たり前だと思ってた。

そう思い始めたら、
2番を取った時の他人の評価が
怖くて怖くて仕方なくなった。

「もし2番を取ったら、
 また何か言われるんだろうか?」

そう思ったら、
ただ楽しくてしていた勉強が、
私にとって義務に変わった。

1番以外の選択肢なんてあり得ない。

そう思って、
中間テストも期末テストも
必死で一番を死守してきた。

高校受験もいち早く推薦で、
県内で偏差値の高い高校に決めた。

高校2年の時の担任の先生が、
ある日ホームルームで、

「僕は今ここに座っている皆んなが、
 小学校・中学校時代に成績が良かったことを知っている。
 成績が良かった人にしかわからない悩みがあることも知っている。」

そう話しをしてくれたことがあって、

その言葉を聞いた時に、
泣きそうになった。

「負けちゃいけない」

そうやって一人で戦ってきたことを
初めて認めてくれた人がいたことが
本当に嬉しかった。

私はこの過去を
今まで誰にも話したことがない。

ずっと一人で抱えてきた。

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でもね、
今回気づいて思ったんです。

ただ楽しいと思っていたことが、
義務感に変わったことの喪失感。

それは、

紛れもなく
私が作り出してきたもの。

そして、

私が勝ち負けの価値観から
抜け出すためには、

ただ楽しいことを、
ただ好きなことをやればいいんだ。

他人の評価とか、
誰より売れているとか、
そんな価値観は私には必要ない。

自分のために
自分が楽しいと思うことを
ただ夢中になってすること。

それが、

私を勝ち負けの
価値観から解放してくれる。

本当にこの価値観は、
私にとって琴線に触れるものなんだろうな。

書きながら涙が出てくるんだよね。

でも気づけて本当に良かった。

もっともっと私は自由になる。

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